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三宅島噴火時の様子 対応について
(報告)五十嵐 文子
平成12年6月26日に三宅島の火山活動が始まり、先ず地震が1カ月以上続いて8月10日から最大規模の噴火になり、さらに火砕流が発生したことから全島民は島外へ避難を余儀なくされました。三宅島は一時期、無人島になりました。
避難した後、三宅島の雄山は有害な二酸化硫黄など含む火山ガスが、世界にも類を見ないほどの大量に放出するようになり、避難生活も4年半という長い歳月を都会の大勢の皆様に支えられ、お世話になって参りましたが平成17年2月1日にようやくの思いで全島避難指示が解除になりましたが、火山ガスの放出が止まった分けでは有りません。
島民の一部を残し、三宅の我が家に帰ることができました。
ちなみに、私は4月29日に東京を後にしました。4年半の留守宅の家屋は大変な有り様の状態で、家屋の修理や庭の手入で半年位かかりました。一般の通路は噴火により、噴煙で泥流が道路を何十ヶ所も破壊され、道路の普及に3年以上もかかっていたようです。農家の畑は、藪になっておりますので高齢者には手の施しようがなく、業者によって処理して頂き畑として使えるようになりました。三宅島全体の畑の手入れも業者も1年以上かかっていたようです。
島民の人口は避難前は、3,800名でしたが現在は2,880名です。
1,000名ほどの島民は、今だ帰れない状態です。学校も避難前は、小・中学校各3校ずつ有りましたが解除後は生徒数も少なくなり、小学校59名、中学校52名という数となり校舎も1校ずつとなってしまいました。都立高等学校は最初から1校です。三宅島も避難解除から復興に向けて努力しておりましたが、ようやく特別養護老人ホームの施設の補修工事が終わって昨年4月に開設することが出来ました。避難中、都内の施設に入居されていた方々が故郷に帰り入居することが出来、それぞれの家族も安堵したことでしょう。続いて、温泉も改修工事に時間がかかったものの昨年の春から入浴できるようになりました。
空港も4月位から運航する予定になって居ります。但し、観光面では火山ガスが終息していないためか避難前の半数位の人数と言われています。今年度は、観光面に力をそそぎ三宅の復興に繋げたいと考えているようです。
三宅村は、財政が困難がゆえ村民の皆さんにも募金(寄付金)をつのって、三宅島を守る鎮守さまの冨賀神社を大掛かりに修復工事を成し遂げ完成しました。昨年12月9日の竣工式には、立派に出来上がり集まった住民に紅白の餅が巻かれ落成をお祝いしました。そして正月に新年を迎え、初詣をする人達で賑わいました。三宅島はこれからも復興に向けてハードルを乗り越え頑張らなければと考えております。 |