<葛飾区主催のシンポで五十嵐文子さん発言!!>

葛飾区は、平成20年2月1日「防災シンポジュウム〜被災地から伝える 葛飾区民へのメッセージ〜」を各自治町会、商店街連合会、消防署、医師会、学校PTA、一般公募により多数参加し開催された。

パネラー(被害体験者)として、阪神淡路大震災、新潟県中越地震、三宅島噴火災害を「葛飾三宅会」元会長の五十嵐文子さんが貴重な発言をした。以下はその内容の報告と発言の一部「三宅島噴火時の様子・対応について」を紹介します。

 

葛飾区民へのメッセージ(防災シンポジウム)〜五十嵐文子〜

コーディネーター、中林一樹さんで首都大学教授です。

葛飾区の振興部長の高橋さんから、防災シンポジウムを催したいとの事で被災地からの声ということで、神戸、中越地震、三宅島噴火災害と避難生活体験についての件を依頼されました。パネラーとして、私は避難生活を葛飾の高砂で四年半という歳月を大変お世話になり、七十名程の島民の代表としてお世話して頑張って来ました。

そして葛飾の区長さん始め、高砂自治会長さんや大勢の住民の皆様にお世話になり、ボランティア精神や助け合いの心を学ぶことができました。三宅島が避難解除になり、葛飾の高砂を後にする時にも島民のために送別会を催して頂きました。

区長さんや地域振興部長さんも参加して、高砂自治会で準備して下さって日本舞踊やフラダンスの出し物まで披露して楽しいお別れ会を催して下さいました。本当に感謝の申し上げようもない程、お世話になりました。そして最後に原稿も依頼されまして島民がお世話になりましたお礼い文を届けました。広範囲に配布される「ふれあいのまち」に掲載したようです。

避難中代表として何かに付けて一人で動いて参りました故か今年二月一日に防災シンポジウムに参加して三宅の噴火時の事を話しシンポジウムの催し方を学ぶことが出来ました。それは葛飾区の職員が広範囲の地域の役職の方々に直接参加を働きかけたことです。大勢働いていらっしゃることと存じます。

自然災害が起きうる事を考え、シンポジウムを開き防災に協力して頂きたい方達にに通知を出して行ったようで、参加者も多く三百人程、会場いっぱいの盛況振りでした。昨年三宅高校での9月15・16日の「三宅島火山被害から7年」シンポジウムに参加しましたが、島民の参加は少なく少し淋しい思いを感じました。これから行う折りには、チラシのみではなく、村・行政と島民がもう少し気配りや心遣いが必要ではないでしょうか、遠くから専門の先生方が島民の災害に向けて来て発表して下さる訳ですのにと存じます。それから公共の催しは素より何をなさるにも気遣い気配りが大事ではないでしょうか。前向きにお話を伺うことは人間育成にもなると思いますものね。

 

 

三宅島噴火時の様子 対応について

(報告)五十嵐 文子

 平成12年6月26日に三宅島の火山活動が始まり、先ず地震が1カ月以上続いて8月10日から最大規模の噴火になり、さらに火砕流が発生したことから全島民は島外へ避難を余儀なくされました。三宅島は一時期、無人島になりました。

 避難した後、三宅島の雄山は有害な二酸化硫黄など含む火山ガスが、世界にも類を見ないほどの大量に放出するようになり、避難生活も4年半という長い歳月を都会の大勢の皆様に支えられ、お世話になって参りましたが平成17年2月1日にようやくの思いで全島避難指示が解除になりましたが、火山ガスの放出が止まった分けでは有りません。

島民の一部を残し、三宅の我が家に帰ることができました。

 ちなみに、私は4月29日に東京を後にしました。4年半の留守宅の家屋は大変な有り様の状態で、家屋の修理や庭の手入で半年位かかりました。一般の通路は噴火により、噴煙で泥流が道路を何十ヶ所も破壊され、道路の普及に3年以上もかかっていたようです。農家の畑は、藪になっておりますので高齢者には手の施しようがなく、業者によって処理して頂き畑として使えるようになりました。三宅島全体の畑の手入れも業者も1年以上かかっていたようです。

 島民の人口は避難前は、3,800名でしたが現在は2,880名です。

1,000名ほどの島民は、今だ帰れない状態です。学校も避難前は、小・中学校各3校ずつ有りましたが解除後は生徒数も少なくなり、小学校59名、中学校52名という数となり校舎も1校ずつとなってしまいました。都立高等学校は最初から1校です。三宅島も避難解除から復興に向けて努力しておりましたが、ようやく特別養護老人ホームの施設の補修工事が終わって昨年4月に開設することが出来ました。避難中、都内の施設に入居されていた方々が故郷に帰り入居することが出来、それぞれの家族も安堵したことでしょう。続いて、温泉も改修工事に時間がかかったものの昨年の春から入浴できるようになりました。

 空港も4月位から運航する予定になって居ります。但し、観光面では火山ガスが終息していないためか避難前の半数位の人数と言われています。今年度は、観光面に力をそそぎ三宅の復興に繋げたいと考えているようです。

 三宅村は、財政が困難がゆえ村民の皆さんにも募金(寄付金)をつのって、三宅島を守る鎮守さまの冨賀神社を大掛かりに修復工事を成し遂げ完成しました。昨年12月9日の竣工式には、立派に出来上がり集まった住民に紅白の餅が巻かれ落成をお祝いしました。そして正月に新年を迎え、初詣をする人達で賑わいました。三宅島はこれからも復興に向けてハードルを乗り越え頑張らなければと考えております。

 

     


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